架線柱の歴史
鉄道模型の話を始めたので、連続で行く。
(銀塩の撮影結果もそれなりに溜まっているのだが)
今回は、架線柱の話である。
まずは長尾軌道の現在の姿
なにせ15年の期間があるのであるから、架線柱も運用結果を反映して
どんどんと変化している。
県道線がほぼ完成した1996.4.27のときの写真
長尾軌道県道線を製作したときには、架線も架線柱もまだまだ実験段階の
ものであった。
ゆえに、形態的にも強度の上でも問題があった。
我が家の架線柱進化?の歴史。過去のものを、検証用に残してある。
画像の一番手前のものが初期の架線柱である。
前年に路面電車のレイアウトを企画した段階では、架線柱は上から木ネジ
で止める形式であった。
しかし、それでは以下の点で問題があることが判った。
・ともかく見た目が悪い
・木ネジ(2本)で止めると、角度(架線)の調整が出来ない
そのため、3.0φの真鍮丸棒をダイスでネジ切りして使うこととした。
これで問題が解決した・・・と思ったのだが、真鍮板(0.6t)を穴を開けて単純に
ハンダ付けしただけのものでは、ナットを締めていくと外れてしまうのだ。
また、ブラケット部分も単純に曲げただけの形ではあまりにシンプルで
あまりに幼稚?な感じであった。
そのような訳で、奥に向かって順に形態が変化していく。
現在の県道線の架線柱。 シンプルカテナリにも対応したものだ。
上記のような問題があったため、固定部分は4.0φのパイプを付けて
ナット締めのための強化を行った。
架線を固定する部分についても、それなりに実物を意識した形にしてある。
シンプルカテナリ、メッセンジャーを張るための金具も装備済みだ。
これらの変更は、1996年着工の寺町線のために開発したもののフィードバック
したものである。
日々進歩していったのである。
さらに新型の瑞穂線の架線柱
瑞穂線は2002.4.14に完成している。
架線柱についてもさらに形態・機能ともに改善されているが、特に台座部分が
真鍮線によりすっきりとした形態に改善されている。
最期の瑞穂線からも8年が経過している。
今度作るものは、さらに架線も架線柱も改善しなくては問題である。
私にしては珍しく、実物の架線・架線柱を見て研究中。
私も少しは大人になった。
ある方のブログを読んで反省したのだが「実物を知らない人が作った模型は
なにかどこかがおかしくなる」と書かれていた。
私は、県道線に始る架線・架線柱を開発する段階で、あまり実物を研究
しないで工作をしていた。
ゆえに、あちこち迷ってモノを作っていたように思う。
ということで、実物を研究している。
実地検証を元に、図などを用意中である。
少しだけ期待して欲しい。
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