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2013.09.14

ジョン・アレンさんの本(G&D Railroad)

今週はなぜか大阪出張があった。
ビジネスパークで昼食の後、ふと見ると古本市をやっていた。

Sat3_20130914
 この本を発見!

本をあれこれと見ていると「あ!これは!」と見つけた。
JOHN ALLENさんの本である。

帰りの新幹線の中でしみじみと読む(注:英語なのでボンヤリの理解ですが)
と、レイアウト制作は最初が1944年(え?WWII中ですよ!)で、あの偉大な
G&Dの第一期となる「定尺ベニヤ板サイズ」のものが1946年(え?)着工という
「聞いてはいたが、こうやって書籍で見ると感動」の数々を読むことが出来た。

それにしても驚いたことがある。
写真に出てくる車両やアクセサリー群である。
あの有名な「ドックサイドタンク」もある。
う~ん、戦中戦後にこの充実した製品群が・・・・
米国の底力を感じる・・・
といいつつ
”Starting from scratch -no kits!-” とあるのだが、え?これって・・
(ああ、乏しい英語能力)。

偉大なるG&Dの1946年~1978年という「歴史本」はそれにしても凄い。
 1946年に着工
 手前の駅部分が少し出来てきたところでターンテーブルが手前に(1948年)
 さらに路線延長+ナローゲージ
 そして最終的なあのG&Dへ
と変化していくのである。
レイアウトに完成なし・・・進化の歴史はかなり読み応えがある。

それにしても、1946年着工の「定尺ベニヤサイズレイアウト」が、最後まで
中心部分に残っている(本線でも支線でもなく景色となっても)のは
なるほど・・・・と感動した。

ああ、レイアウト作りたい・・・

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コメント

 あそこまででかくなくていいのでと思って作り始めたのですが、小さいレイアウトでは、それなりに走るような車両が必要です。
 また、空荷の貨車が気になりだして、あれこれ。結局、レイアウトよりは車両の工作が中心になっています。

投稿: 美男(備南鉄道) | 2013.09.14 21:57

突然失礼いたします。
森岡清と申します。横浜市在住の、アラフィフのサラリーマンです。
ジョン・アレンを検索していて、筆者様の記事にたどりつきました。小生、この本を座右の書としていて、いつか誰かが翻訳本を出してくれないかと思うのですが、誰も出してくれません。何度も読み返した最終章だけ、下手な訳をしてみました。よければお読みください。(著作権等あると思うので、ネットには公表しないでください)。

Model Railroading with John Allen / by Linn Westcottより

終章
ジョン・アレンは1973年1月6日の夕方、心臓麻痺で亡くなった。さらに悲惨なことに、ジョンの死から僅か10日後、火事が、シエロ・ビスタ・テラス9番のジョンの家を焼き、彼の素晴らしいゴーリィ&ディフィーティットを完全に破壊してしまった。
1960年代に少なくとも1度、ひどい心臓麻痺をおこしていたジョンは、1972年の秋、G&Dのメインライン完成に精力的に取り組んではいたものの、体調はよくなかった。彼は電話で私に、「ゴールデン・スパイク(完成式)」は1973年の4月か5月になるから、そのときはぜひ来て欲しいと言った。1972年10月13日、彼はジム・フィンドレーへの手紙にこう書いている。「グレート・ディバイドからエンジェルズ・キャンプに本線を伸ばしている。線路と橋は完成したが、まだカプラーの解放ランプを設置しなきゃならない。作業のペースはゆっくりで、10年前に比べると、2倍、3倍の時間がかかるようになってしまった。体重は増えも減りもしないが、ひどく簡単に息切れする。夜もよく眠れないが、これは昼寝をしすぎるせいかもしれない」。
死に至る心臓発作の可能性を意識していたのか、手紙はこう続く。「家とレイアウトをどうしたらいいのかわからない。キミが家とレイアウトの面倒をみてくれる唯一の人かもしれないが、キミはそれを望んでいるだろうか。レイアウトをどう扱うのかわざわざ学ぶ気もないような人に、これを託すのはありえないし、自分自身が必要な多くのことを忘れ始めている。せめてあと2、3年あれば、昔のように体は動かなくても、メインラインを完成させ、短い時間でも19年前に考えたような運転ができるのだが」。
ジョンが亡くなったとき、ちょうどジム・フィンドレーが訪問中で、彼はジョンの死後も数日、家に留まった。アンドリュー・アレン(訳者注:ジョンの兄弟)とその奥方は、毎日家を訪れ、遺品を確認し、遺言を探した。G&Dの運転仲間は、今後レイアウトを維持する様々な方法をディスカションしたし、遺族はその助言に従おうとした。アール・フローズは回顧する。「ジョンが望んだのは、運転仲間の我々がレイアウトをいつでも運転できる状態に保つことだった。ジョンは誰かにレイアウトを生きた状態に保ってもらいたかったんだ」。ビル・コルサが付け加える。「われわれも皆、力を貸したいと思っていた」。ジョー・ケインはジョンの家を買ってもいいと思っていたし、ジム・フィンドレーは私に、あの家に住んでもいいと言っていた。ダレル・ハービンは独身だから、レイアウトの面倒をみることも可能だった。火事が、こういう可能性の全てを奪い去った。
G&Dの運転仲間は、遺族に対してとても協力的だったし、遺族のアンドリューも、火曜の夜が定例運転会だったから、1973年1月16日の火曜日、彼らを呼び寄せ、運転会が催された。夜11時前にセッションが終了し、その夜は家に誰も残らなくなるので、クルー達はレイアウトと照明の電源をすべてオフにし、ガスヒーターを切った。そしてレイアウトを乾燥した状態に保つため、床暖房のサーモスタットを摂氏18度にセットした。
夜半、近所の人が、ジョンの家から火花と煙があがるのに気付き、モンタレー消防署に連絡した。すぐに消防隊がやってきたが、レイアウトを救うには遅すぎた。初期の調査では、「鉄道模型の配線」が火事の原因とされたが、アンドリュー・アレンが依頼した私立調査員は後日、ヘレンゴン・ギャップ(訳者注:レイアウト上の地名)の奥にあるガス床暖房が原因であると結論づけた。ジョンはほとんどこの暖房を使わなかった。これは彼が家を冷えた状態に保つのを好んだためだと思うが、ひょっとすると彼は、この暖房が外にうまく排気されないのを知っていたのかもしれない。
1974年、アンドリュー・アレンは私に、モンタレーにきてレイアウトが何らかの形で救えないか見て欲しい、と言ってきた。例えレイアウトの一部でもいいから、博物館に移せないか? 一部だけでも再建できないか? 私は喜んで協力したいと考えたし、もしジョンの写真が燃えていないなら、せめて彼に関する本をつくることが出来ないかと思い始めた。
われわれが家に着くと、レイアウトがレストアできる状態にないことはすぐに判った。火事は多くのエリアを完全に焼き尽くしていたし、場所がわかる僅かな部分も、黒焦げになって、往時の美しさは消え去っていた。あの有名なフレンチ・ガルヒのセクションを救い出そうと、われわれは2時間汗まみれになって鋸を引いたが、セクションは壁から外すと同時に、崩れ落ちてしまった。
私は暗室でジョンのネガを、そして上の階で、彼の手紙のやりとりのファイル、図面、そして発表済と未発表の原稿を含む、プランニングのためのノートをみつけた。これらの素材とジョンのカラースライド(その前に救い出されてアンドリュー・アレンが持っていた)によって、この本が出来上がった。私は、将来にわたってずっと、大勢の鉄道模型ファンが、ジョン・アレンについて知ることを楽しんで欲しいと思う。おそらく彼こそが、これまでも、そしてこれからも、この趣味が持ちうる最も偉大な思想家なのだから。
ジョン、君に会いたい。

森岡注:著者のリン・ウエスコット(1913-1980)は、モデルレイルローダー誌の元名編集長です。ジョン・アレンと親交が深く、残された手紙や資料を元に、晩年、ジョン・アレン本の執筆に取り組みましたが、1980年9月、最終準備中に亡くなりました。本は1981年4月に出版されました。


投稿: もりおか | 2015.01.17 18:43

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