謹賀新年

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
初詣も終わり、今年はどうするか?を考えてみる。
なんとなくやってみた「”ダークしている”ペンタプリズム一眼レフ」
まずはクラカメ関係。
平成30年(2018)は私にとって色々なことがあったが、
明るい話は「長年かかった使ってみたいカメラ」がほぼ揃った
ことである。
目標は、高校時代に憧れたカメラと「銘機礼賛」で知った歴史的?
カメラを”実際に使ってみること”である。
急ぐ必要もないのだが、なにしろ「出会いを待つ」ことと、
予算の都合(遠い目)、そして「入手した後のメンテナンス」まで
考えないといけないので、一応の達成には20年を超える年月が
必要であった。
その過程で、色々な人との出会い、色々なことを教わり・・・
考えてみると「アイテムを収集」することよりも、そちらが楽しかった
ような気がする。
別にゴールはないので、今後もそれは続くのだが、2年前から
少しペースを上げてきたのには理由がある。
それは「銀塩撮影を続ける環境が厳しくなってきた」ことである。
私の近所にあった即現像の写真屋さんは既になく、昨年後半は
現像をやってくれる店を探しながらの撮影行だった。
(2018.10以降の模型活動が停止状態の原因)
趣味というのは焦ってやるのは違うとは思っているのだが、
こうなってみると”フィルムと現像サービスがいつまで続くのか?”の
競争となってしまった。
今年からは、アイテムを探すよりは「撮影を楽しむこと」に
力点を置きたいと思っている。
ところで、先の画像は「ペンタプリズム一眼レフ年代順」になっている。
各カメラを使っていくことで、各会社の個性や”日本のメーカーが
どのような影響を受けているのか?”を使って体験出来ることが
オーナーだけが味わえる喜びである(笑)
続いては鉄道模型。
目標は常に”レイアウト”なのだが・・・
鉄道模型のテーマは一貫して「レイアウト作成」である。
ところが、どうもここ数年は”コレジャナイ感”が高いのである。
上記画像は林鉄と電化ナローレイアウトのレイアウトなのだが
60%完成程度で進捗が悪い。
なぜなんだろう?
色々と考えてみると、原因は2つあるようだ。
原因1:レイアウト仕様と運用車両のミスマッチ
1つはレイアウトは作ったものの、その上を走らせる車両が
その設備に合っていないことである。
上記画像は林鉄レイアウトで走行させる機関車なのだが、
レイアウトの仕様は手前の5t程度のロコ+運材台車数両なのだが
実際に使おうとしている車両は、奥にある10t級の大型ロコが
意外に多いのである。
林鉄レイアウトは、それに対応するため作業軌道側はR150=>
R177にするという大改造を行った。
そこまでは良かったのだが、問題は「駅側の長さが足りない」こと。
解決するために、あれこれとポイント位置や側線の追加をする
改造に次ぐ改造を行うことで疲労気味(遠い目)
電化ナローレイアウトはもっと深刻。
・元々はワールド工芸の花巻デハを走らせるのが目的
・とりあえず作ってみるか?と軽い気持ちで着手
・実際に作ってみると「なかなかいい感じ」なので、下津井や
三重交通の大型電車が入線させてみると”狭い!”
・結果的に「何がしたかったんだ?」(呆然)
・花巻デハについても、ポールで架線を押すと粘着低下して
走行性能が悪化し、とてもDCCサウンド対応出来ない
ことが判明
目的がはっきりしない=どうまとめたら良いか判らないので
手が止まるという典型的な状況になってしまった。
しかし、それはなにも「レイアウトが悪い」だけではない。
原因2:車両起因の問題をレイアウト側で解決しようとした
電化ナローレイアウトについては先に色々書いてきたが、
「中途半端な仕様」になってしまったのは、実は車両に原因がある。
花巻デハと草軽デキ(乗工社)については、当社標準のR144通過が
出来ない。
ならば「R170で作ればいい」と判断したのが間違いであった。
R144で計画したものをR170にするという”中途半端な企画”で
着工したところに問題があった。
さすがにこのままでは・・・ということで2017年に花巻デハ 2両の
仕様変更を行った。
・下回りをTOMIX ED61に交換
・ポールをカワイモデルの改良タイプに交換
結果的には”もっと早くやれば良かった”である。
残りは草軽デキである。
(現在、解決方法を検討中)
あれこれと「旧年までの反省」を書いてしまった。
(他に路面電車のレイアウトもあるが省略)
ともかく、2019年も「レイアウト制作」が目標なのである(遠い目)
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色々あった平成30年(2018)を振り返ってみる。
まずは趣味の話。
鉄道模型関係
今年は小型レイアウトの試行錯誤から始まった。
急勾配(6%)、R144のカーブ、台枠を分割して構成を変える・・など
出し切った感じである。
もうこれで終わりか?と思ったのだが、砂利採り線レイアウトとして
復活させたのには、自分でもビックリである。
路面電車関係は、ウォーム式の吊掛モータ、アルモデルの動力装置など
を試してみたり、サイズアップしたレイアウトを試行してみたが、結論が
出ずに終わってしまった。
その過程で、KATOのクモハ12のモータ交換、いでゆ工房の
阪堺モ205の下回り交換などのペンディングが解決。
ターンテーブルについては、独自仕様で作るのではなく、既製品を
組んだらどうなるか?を試してみた。
軽便祭り向けに各種車両を組み、改修を行い・・・このおかげで
実稼働出来る車両が増えた。
今年1年を通じて判ったのは「レイアウトが出来ると車両工作も
捗る」である。
まあ、当たり前といえば当たり前か。
自分の活動はいいとして、今年はレールの篠原模型、古典ロコの
珊瑚模型の件があり、時代の流れに遠い目になるのであった。
銀塩カメラ熱は冷めず?
3年ほど前からデジタル撮影に飽きてきて、そうなると銀塩カメラで
あれこれ試行することの楽しさを思い出して・・・
結局、またあれこれと「憧れのカメラ」が増えて、壊れていたカメラや
レンズを修理して撮影をする、を地味に繰り返した年であった。
最後の最後で、高校時代からの憧れであるNikon F+F-36に出会う
ことが出来たのは幸福なことであった。
で、思ったことは「次は物欲ではなく少しはマジメに撮影しよう」
最後に・・・
15年、ありがとう
楽しいとき、辛いとき、寂しいとき・・・いつもいっしょだった
チョコ君が逝ってしまった。
良いことばかりではなかったし、チョコ君も不満はあったろうけど
いっしょに生活してくれてありがとう!
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一昨日の夜から食事も出来ないくらい不調だったチョコ君が
今朝亡くなった。
15歳は、ビーグル犬(♂)としては長命だった。
チョコ君はビーグル犬らしく「頑健で健康な犬」だった。
しかし、昨年からクッシング症候群、会陰ヘルニアによる腸閉塞と
命にかかわるような病気になり、今年になって心臓が弱ってきて
最後は癌になった。
それでも、チョコ君は逞しく生き抜いて、一昨日までは散歩もして
いたのだ。
亡くなったのは今朝なのだが、早朝に部屋に入ると立ち上がって
「おはよう!ワン!」と言おうとしたようにしたものの、声は出ずに
そのまま倒れて天国へと旅立って行った。
まったく、見事なワンコである。
去年からのクラカメによるチョコ君撮影でお気に入り
一昨年くらいから、クラカメによる銀塩撮影が増えたのだが、
「チョコ君も老齢だから写真を写さないと」というのがかなりの
重要な理由であった。
とりあえず2017年に撮影したものをチェックしてみた。
それにしても・・・撮影したカメラがミランダT、タナックSDにMF、
エクトラにコンタレックスにブロニカDxにハッセル1000F・・・と
濃いカメラがゴチャっと出てくる。
チョコ君ほどクラカメで撮影されたワンコも珍しいのでは?と
思うくらいだ。
画像をチェックして「これがいい」と思ったのが、ハッセル1000Fに
テッサー80F2.8で撮影したこの画像だった。
それにしても「よくもまあこんな使いにくいカメラで」と感動しきり
である。
チョコ君、やはり「ツイいている犬」だった。
ほんとうにいいワンコだった。
15年間、いっしょに生活してくれてありがとう!!
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気が付くと大晦日である。
路面電車関係、結局「これから」の状態のまま
「使えないままだったカメラが復活」
前半戦は模型工作に燃えていたが「レイアウトの線路配置と大きさ」とは
どういうものなのか? と良い考えが無い状態になった。
このまま停滞しているのも問題なので、後半は「今まで壊れて使えなかった
クラカメを修理してもらってリベンジする」ことにした。
こちらはまあまあの結果だった。
最後の最後にインフルエンザになったり、チョコ君も老齢で健康問題が・・
など、色々とあった年であった。
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宮藤官九郎のオールナイトニッポンを聞いていて・・・
うっかり購入。
22:00-23:50が深夜放送か?はともかく、ラジオの面白さにちょっと感動。
今やっている4曲目の作詞で”ユーロビート”というとWinkの曲がかかる
のでCDをこれまた買ってしまったが、う~ん、私の世代には心地よい。
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今日は快晴であった。
こういう日こそ「良し!ふとんを干すぞ!」なのであるが・・・
今日は一味違うのである。
日野熊蔵氏の本を読んで、代々木練兵場での「日本の航空史の始め」を
見に行ってみたくなったのである。
ということで珍しくおでかけ。
日本航空発始之地記念碑
代々木八幡の駅から歩いて・・・交番で入口を聞いて、西口から坂を
登っていくと、この大きな碑があった。
西口から入ると「こんな起伏があるところで飛行機が飛べるの?」と
思ったが、上に登ると平らであった。
静かに木陰に並ぶ日本航空草分けの人
そして、日本航空草分けの両名の胸像を見る。
徳川氏は飛行当時? 日野氏は昭和10年くらいの姿?のようである。
今は静かに「かつて自分が飛んだ代々木練兵場の空」を見つめている
ようであった。
1910年にこの空を飛んだのか・・(遠い目)
胸像が見つめている方向を見てみると、「ああ、この木の遥か上を飛行機で
飛んでいたのか」としみじみとする。
ここで見物していた人も含めて「空への夢」を見ていたのだなぁ・・と遠い目。
そして、新たに湧いて来る疑問
ところで、日野熊蔵氏の本を読んで、日野式自動拳銃を見ていて気が付いた。
日野式は1903年、南部自動拳銃は1902年と同時期に出てきた製品である。
この両拳銃には「グリップ前にセーフティがある」のである。
ちょっと拳銃に詳しい人は判ると思うが「グリップセーフティが前にある」
というのは、あまり良くないことである。
そのせいなのか?他の拳銃でこの方式を聞いたことがない。
となると、日野氏と南部氏との間でなにか情報交換があったのか?と
考えるのがどうなのだろうか?
南部麒二郎氏 佐賀県出身 1869年生まれ 陸士2期 砲科
日野熊蔵氏 熊本県人吉出身 1878年生まれ 陸士10期 兵科
と、まったく接点らしいところが見られない。
日野氏の性格(自身の独創性を重んじる)からすると、誰かの模倣を
するとは思えないのだが・・・
興味は尽きない。
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ダックス以降、模型以外の話が続く。
というか、日野熊蔵という人についてはちょっと前から調べていたのだ。
きっかけは「坂本竜馬の拳銃」
私はミリタリーマニアではない。
しかし、数年前から「日本軍の拳銃」の不思議な歴史を調べてきていた。
=>坂本竜馬の拳銃はなにか?が関係している。
それを調べるために購入した「Japanese Military Cartridge Handguns 1893-1945」
一番初めが26年式(この銃からして実に不思議)なのだが、2番目は南部自動拳銃・・
あれ?「日野式自動拳銃」・・え?
なんと、あの有名な南部自動拳銃の前に出ているのである。
そのときは「風変わりな拳銃だな」と思って終わってしまったが、のちに他の方面で
調べ物をしているうちに興味が沸いて来たのである。
日本の航空史に「断片的に登場する日野氏とは?」
NF文庫の「戦後日本民間航空のあけぼの」という戦後の民間航空会社の
話の第一章に「日本の無尾翼機開発と島飛行士」という話が出てくる。
戦前の話なのに?と思っていると、のちに戦後航空史にも関係する伊藤音次郎氏
や島飛行士とともに「茅場製作所に出入りしていた日野熊蔵氏に無尾翼機の具体案
を依頼した」とあるのである。
ここで「日野氏は、1910年12月に徳川大尉とともに日本における初飛行をした、あの
日野大尉である」と書かれている。
なんとなく聞いたことはあるが、画期的なことをした”はず”の人なのに、あまり
聞いたことがないな?と思い興味が出てきた。
さらに「中島知久平伝」では、ライト兄弟より発想したのは早かった二宮忠八氏、
自作グライダーで「日本初飛行」の奈良原男爵(この話は本になっている)話と
ともに日野大尉のグラーデ機の話が出てくる。
ここまでくると「もっと詳細を知りたい!」という思いは強くなった。
そして「日野熊蔵伝」を入手することが出来た。
この本、日野熊蔵氏の郷里(人吉)である熊本の方が執筆・出版した本で、
初版は1977年で、その後2度ほど再版されている。
この本の内容については、読んでいただくのが良い(今は古本でしか買えない
のが惜しい)と思うが、薩摩藩と熊本藩の間にあった「人吉藩(相良藩)」の話から
始まり、代々木練兵場での「日本の空を始めて飛行」までの詳細の歴史、
そしてなによりも「昭和30年代にご存命だった徳川好敏氏、「日野式一号機
(日本初の国産機(飛行は出来なかった)を製造した林田好蔵氏の孫の林田
哲夫氏提供の資料(ちなみに、その工場の場所にはプレートがある))、
伊藤音次郎氏(他にも大勢の方の記事がある)に直接取材した内容はすばらしい。
この本のおかげで、
・まずは国産飛行機(奈良原氏、日野氏など)を作ったが浮揚しなかった
・徳川大尉、日野大尉が航空技術と飛行機購入のために渡欧し、
どのような活動をしたか。
・代々木練兵場における1910年(明42)10月末~12/15の事実
・そして「日野式自動拳銃とハリー・エル・ダービー氏の著書」との関係
などが良く判った。
さて、その日野式自動拳銃である。
困ったときの「頑住吉氏の製品」
本で見るだけでなく、「実物の形をしたもの」を手にしたいものである。
苦労して、頑住吉氏の製品を入手。
入手してからも、曲がっているのを直そうとしてボッキリ折って(涙)修理する
などの苦労を経て、どうにか構造を理解出来た。
南部式自動拳銃と日野式自動拳銃、並べてみてしみじみと
実は南部式も陸軍正式にはなっていない。
(海軍はのちに青島上陸作戦のために大量購入)
南部式は1902年、日野式は1903年なのに掲載順が逆なのは面白い。
「Japanese Military Cartridge Handguns 1893-1945」の著者はHarry L.DerbyIII
&James D.Brownという方なのであるが、ハリー氏はこの日野式自動拳銃に
ついて調査をしているときに、「日野熊蔵伝」の著者の渋谷 敦氏と知り合い、
情報を共有したことが書かれている。
すばらしいことに、この”米国の本”に、日野熊蔵氏と飛行機の話が2ページも
紹介されているのである。
この本は、初版が’70年代なので、「日野熊蔵氏は日本より先に米国で広く
紹介された」ということになる。
それにしても、同じ年代の拳銃でこの両者を比べれる「やはり南部式が
実用的」と思うのは私だけだろうか?
本のおかげで、日野式自動拳銃のなぞが氷解
日野式自動拳銃はブローフォワード式という”世にも変わった方式”である。
普通の自動拳銃は、スライドが後退して排莢するのであるが、この拳銃はなんと!
バレルが前後して排莢するのである。
となると、、どうやって初弾を装填するか?なのであるが、バレルを引っ張って
行うのは「暴発したら自分の指を打ちぬく」ことがあるからである。
(注:日野氏は事故で親指を撃っている)
「日野熊蔵伝」の付録の平成6年2月5日の人吉新聞の記事に「三重県の旧家の
納屋で見つかった17丁の日野式自動拳銃('92年に見つかり、その後の経緯は
月間Gunやハリー氏の著書にも出てくる)」に「この拳銃は片手で振るだけで初弾
装填」とあるのだ。
なるほど、それで.32ACPという小口径にしては長銃身(重くして遠心力を利用)
なのか・・・と納得した。
でも、それも「ロックがうまくいかないと暴発では?」という疑問が・・・
(注:日野氏は職工が組立て中に暴発させて背中から腹部を貫通・・)
代々木公園には、徳川氏と日野氏の胸像が日本航空界草分けとして
並んで立てられているとのことである。
いずれは見に行ってみたい。
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