雑談

2015.08.10

お風呂はぬるめの勝次郎

Mon3_20150810

宮藤官九郎のオールナイトニッポンを聞いていて・・・
うっかり購入。

22:00-23:50が深夜放送か?はともかく、ラジオの面白さにちょっと感動。

今やっている4曲目の作詞で”ユーロビート”というとWinkの曲がかかる
のでCDをこれまた買ってしまったが、う~ん、私の世代には心地よい。

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2014.12.23

日本の航空事始めの地を訪ねて

今日は快晴であった。
こういう日こそ「良し!ふとんを干すぞ!」なのであるが・・・
今日は一味違うのである。

日野熊蔵氏の本を読んで、代々木練兵場での「日本の航空史の始め」を
見に行ってみたくなったのである。

ということで珍しくおでかけ。

Tue4_20141223
 日本航空発始之地記念碑

代々木八幡の駅から歩いて・・・交番で入口を聞いて、西口から坂を
登っていくと、この大きな碑があった。
西口から入ると「こんな起伏があるところで飛行機が飛べるの?」と
思ったが、上に登ると平らであった。

Tue5_20141223
 静かに木陰に並ぶ日本航空草分けの人

そして、日本航空草分けの両名の胸像を見る。
徳川氏は飛行当時? 日野氏は昭和10年くらいの姿?のようである。
今は静かに「かつて自分が飛んだ代々木練兵場の空」を見つめている
ようであった。

Tue6_20141223
 1910年にこの空を飛んだのか・・(遠い目)

胸像が見つめている方向を見てみると、「ああ、この木の遥か上を飛行機で
飛んでいたのか」としみじみとする。
ここで見物していた人も含めて「空への夢」を見ていたのだなぁ・・と遠い目。

Tue7_20141223
 そして、新たに湧いて来る疑問

ところで、日野熊蔵氏の本を読んで、日野式自動拳銃を見ていて気が付いた。
日野式は1903年、南部自動拳銃は1902年と同時期に出てきた製品である。
この両拳銃には「グリップ前にセーフティがある」のである。
ちょっと拳銃に詳しい人は判ると思うが「グリップセーフティが前にある」
というのは、あまり良くないことである。
そのせいなのか?他の拳銃でこの方式を聞いたことがない。
となると、日野氏と南部氏との間でなにか情報交換があったのか?と
考えるのがどうなのだろうか?
南部麒二郎氏 佐賀県出身 1869年生まれ 陸士2期 砲科
日野熊蔵氏  熊本県人吉出身 1878年生まれ 陸士10期 兵科
と、まったく接点らしいところが見られない。
日野氏の性格(自身の独創性を重んじる)からすると、誰かの模倣を
するとは思えないのだが・・・

興味は尽きない。  

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2014.12.20

日野熊蔵という人

ダックス以降、模型以外の話が続く。

というか、日野熊蔵という人についてはちょっと前から調べていたのだ。

Sat4_20141220
 きっかけは「坂本竜馬の拳銃」

私はミリタリーマニアではない。
しかし、数年前から「日本軍の拳銃」の不思議な歴史を調べてきていた。
=>坂本竜馬の拳銃はなにか?が関係している。
それを調べるために購入した「Japanese Military Cartridge Handguns 1893-1945」
一番初めが26年式(この銃からして実に不思議)なのだが、2番目は南部自動拳銃・・
あれ?「日野式自動拳銃」・・え?
なんと、あの有名な南部自動拳銃の前に出ているのである。
そのときは「風変わりな拳銃だな」と思って終わってしまったが、のちに他の方面で
調べ物をしているうちに興味が沸いて来たのである。

Sat5_20141220
 日本の航空史に「断片的に登場する日野氏とは?」

NF文庫の「戦後日本民間航空のあけぼの」という戦後の民間航空会社の
話の第一章に「日本の無尾翼機開発と島飛行士」という話が出てくる。
戦前の話なのに?と思っていると、のちに戦後航空史にも関係する伊藤音次郎氏
や島飛行士とともに「茅場製作所に出入りしていた日野熊蔵氏に無尾翼機の具体案
を依頼した」とあるのである。
ここで「日野氏は、1910年12月に徳川大尉とともに日本における初飛行をした、あの
日野大尉である」と書かれている。

なんとなく聞いたことはあるが、画期的なことをした”はず”の人なのに、あまり
聞いたことがないな?と思い興味が出てきた。

さらに「中島知久平伝」では、ライト兄弟より発想したのは早かった二宮忠八氏、
自作グライダーで「日本初飛行」の奈良原男爵(この話は本になっている)話と
ともに日野大尉のグラーデ機の話が出てくる。

ここまでくると「もっと詳細を知りたい!」という思いは強くなった。

そして「日野熊蔵伝」を入手することが出来た。
この本、日野熊蔵氏の郷里(人吉)である熊本の方が執筆・出版した本で、
初版は1977年で、その後2度ほど再版されている。

この本の内容については、読んでいただくのが良い(今は古本でしか買えない
のが惜しい)と思うが、薩摩藩と熊本藩の間にあった「人吉藩(相良藩)」の話から
始まり、代々木練兵場での「日本の空を始めて飛行」までの詳細の歴史、
そしてなによりも「昭和30年代にご存命だった徳川好敏氏、「日野式一号機
(日本初の国産機(飛行は出来なかった)を製造した林田好蔵氏の孫の林田
哲夫氏提供の資料(ちなみに、その工場の場所にはプレートがある))、
伊藤音次郎氏(他にも大勢の方の記事がある)に直接取材した内容はすばらしい。

この本のおかげで、
・まずは国産飛行機(奈良原氏、日野氏など)を作ったが浮揚しなかった
・徳川大尉、日野大尉が航空技術と飛行機購入のために渡欧し、
 どのような活動をしたか。
・代々木練兵場における1910年(明42)10月末~12/15の事実
・そして「日野式自動拳銃とハリー・エル・ダービー氏の著書」との関係
などが良く判った。

さて、その日野式自動拳銃である。

Sat6_20141220
 困ったときの「頑住吉氏の製品」

本で見るだけでなく、「実物の形をしたもの」を手にしたいものである。
苦労して、頑住吉氏の製品を入手。
入手してからも、曲がっているのを直そうとしてボッキリ折って(涙)修理する
などの苦労を経て、どうにか構造を理解出来た。

Sat7_20141220
 南部式自動拳銃と日野式自動拳銃、並べてみてしみじみと

実は南部式も陸軍正式にはなっていない。
(海軍はのちに青島上陸作戦のために大量購入)
南部式は1902年、日野式は1903年なのに掲載順が逆なのは面白い。
「Japanese Military Cartridge Handguns 1893-1945」の著者はHarry L.DerbyIII
&James D.Brownという方なのであるが、ハリー氏はこの日野式自動拳銃に
ついて調査をしているときに、「日野熊蔵伝」の著者の渋谷 敦氏と知り合い、
情報を共有したことが書かれている。
すばらしいことに、この”米国の本”に、日野熊蔵氏と飛行機の話が2ページも
紹介されているのである。
この本は、初版が’70年代なので、「日野熊蔵氏は日本より先に米国で広く
紹介された」ということになる。

それにしても、同じ年代の拳銃でこの両者を比べれる「やはり南部式が
実用的」と思うのは私だけだろうか?

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 本のおかげで、日野式自動拳銃のなぞが氷解

日野式自動拳銃はブローフォワード式という”世にも変わった方式”である。
普通の自動拳銃は、スライドが後退して排莢するのであるが、この拳銃はなんと!
バレルが前後して排莢するのである。
となると、、どうやって初弾を装填するか?なのであるが、バレルを引っ張って
行うのは「暴発したら自分の指を打ちぬく」ことがあるからである。
(注:日野氏は事故で親指を撃っている)
「日野熊蔵伝」の付録の平成6年2月5日の人吉新聞の記事に「三重県の旧家の
納屋で見つかった17丁の日野式自動拳銃('92年に見つかり、その後の経緯は
月間Gunやハリー氏の著書にも出てくる)」に「この拳銃は片手で振るだけで初弾
装填」とあるのだ。
なるほど、それで.32ACPという小口径にしては長銃身(重くして遠心力を利用)
なのか・・・と納得した。
でも、それも「ロックがうまくいかないと暴発では?」という疑問が・・・
(注:日野氏は職工が組立て中に暴発させて背中から腹部を貫通・・)

代々木公園には、徳川氏と日野氏の胸像が日本航空界草分けとして
並んで立てられているとのことである。
いずれは見に行ってみたい。

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2012.10.07

タツタ工業のクモハ12040(2)

鉄模社のクハ16を「なんとかカットする部分を減らして」ということの
ために、南武支線の2両編成にして・・という目的で、軽い気持ちで
購入したタツタ工業のクモハ12040の続きである。

Tatsutakumoha1_20121007
 結局、屋根部分を切り落とすために平らにする

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 屋根部分を切り落とし、カツミのモハ30とスタイルブックと比較

Tatsutakumoha3_20121007
 ドアと窓枠をハンダ付け

タツタ模型のこの手のキットは、旧モハ30系が窓の幕板の高さが+1mmで
あることを間違えている。
そのごかまし方をじっくりと考える。
結果、数少ない寸法が合っている前面はそのまま、連結面側は側面に
合わせて-1mm下げることにする。

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 連結面側ぼドアが引き戸なのに・・・なんで嵌め込みに??

こういう根本的に寸法を間違えているのがタツタ工業らしい(怒)

Tatsutakumoha5_20121007
 t0.3の板を曲げて屋根板を作る

Tatsutakumoha6_20121007
 切妻なので、あとは組み立てるだけだ

Tatsutakumoha7_20121007
 まずは側面と妻板を組んで、屋根板を現物合わせで組む

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 ダブルルーフ => 切妻への変化がこうなるのか?・・・・と

前トイ、シル・ヘッダーを貼って、いい感じになった。
私の地元の南武支線にこれがいたのか、と思うと懐かしい気持ちになる。

さて、これで鉄模社クハ16は、ほとんどそのままでクモハ11にすることが出来る。

鉄道模型社の車両を「少しでもオリジナルの姿で残すため」には、こんな苦労も
必要なのである。

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2012.01.14

あれこれと

今日はレイアウト関係のことを・・・と思っていたのだが。

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 昨年のペンディングを解決しようと・・

今年の年始は「去年の仕掛り」の解決を行うことにした。
これで、ギヤードロコの動力未整備のものが無くなった。
しかし・・・ああ、塗装を元に戻すという任務が・・・・
シェイx2両、ダンカークx1両の塗装を剥がす。

まあ、こういう作業は簡単に終わるだろう。

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 そういうときに限って・・・・

すぐに終わるはずだったのだが、2両のシェイ、'80年代に天賞堂から
発売したUnited合同ブランド品で、猛烈にキャブインテリアが付いている。
そのため、塗装を剥離するのが大変であった。
しかも、洗浄しているときにパーツがいくつか外れて付け直し。

それだけならまだしも、ダンカークの逆止弁が外れた(号泣)。

Sat3_20120114
 苦労して修理!

とても小さいロコなので、こういうパーツをつけるのは大変である。
ハンドレールを外すのだが、これがまず結構大変。
さらに、極小の逆止弁をハンダ付けできるようにするのがまた大変。
途中で折れて穴の中につまった真鍮線を穿り出して付け直すのも
かなり面倒だった。

そんなときに荷物が届く。
おお!待っていたぞ!(この時点で18:00)

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 大判デジカメ用のバレルレンズ!

バレルレンズが到着!
・・・・で、デカい!
さっそく、レンズボードを作成する。

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 レンズ取り付け完了!

一応取り付けが出来ようになった。
おお!なんかこう・・・・立派だ!

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 記念の第一写!

さっそく撮影してみた。
こういうとき、デジカメ(!)は便利だ。
どうやらこのレンズ、凄く明るいレンズのようだ。
室内で絞り開放でこの写りである。

Sat7_20120114
 絞り値48で撮影

さして明るくない室内で、結構絞って撮影ができるというのが凄い。
このレンズ、かなり面白そうである。

ああ、休日は忙しい(笑)

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